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日本資本主義の父の渋沢栄一とは?渋沢栄一が掲げた合本主義を解説

2019年4月、政府は現行の紙幣のデザインを、2024年度を目途に変更すると発表しました。

現在使われている、福沢諭吉、福沢諭吉、夏目漱石の肖像画から別の人へと変わってしまいます。

その中で注目されているのが、新しく1万円札に使われる渋沢栄一です。

渋沢栄一とは、幕末から明治、大正、昭和に活躍した実業家です。

日本に初めて誕生した銀行の頭取に就任し、現在まで続く企業の設立・設営に関わった実績から、日本資本主義の父と呼ばれている人物です。

今回はそんな渋沢栄一の素顔に迫ります。

渋沢栄一の来歴や、投資家としての渋沢栄一の考え方を解説します。ぜひ、最後までご覧ください。

渋沢栄一の来歴

農民でありながら幕臣となり渡仏

渋沢栄一は1840年、現在の埼玉県の農家で誕生しました。

農民でしたが父親から学問を習い、従兄弟たちから尊王攘夷の精神を学びます。

成長した渋沢栄一は、故郷を離れると、後の将軍一橋慶喜の部下として働き、目覚ましい活躍をします。

一方で、農民が武士となったのを目障りだと思う派閥と対立し、何度も苦い思いをしました。

一橋慶喜が15代将軍徳川慶喜になると、渋沢栄一も幕臣に取り立てられますが、時代はペリー来航から始まった幕末。

徳川慶喜は諸外国の進んだ知識や制度を取り入れるために、信用できる若者を中心に欧州への留学計画を立てます。

徳川慶喜の弟、徳川昭武がパリの万国博覧会を見学する随行員となった渋沢栄一は、幕末の時代、欧州の文化を学んだ数少ない日本人となります。

フランスで学ぶ資本主義と自由な風潮

渋沢栄一はフランスを中心に、2年間の留学をします。

当時、日本は天皇と幕府の対立構造が生まれており、天皇を擁立する薩長を支持するイギリスに対抗する形で、フランスは幕府に肩入れしていました。

そのため、フランス政府は幕府の要望に応える形で銀行家のフロリ・ヘラルドを特別顧問として派遣します。

銀行家のフロリ・ヘラルドは渋沢栄一に多くの事を教授しました。

銀行はもちろん、株取引所や有価証券などの金融にまつわる様々な事を教えられました。

今日まで続く日本の金融制度や株式会社制度の根幹をこの時に学んだとされています。

もう1つ、渋沢栄一はフロリ・ヘラルドから重要な事を教わります。

それは身分制度からの解放です。

フランス政府から派遣された特別顧問の中には軍人もおりましたが、フロリ・ヘラルドは軍人に対しても自由に自分の意見を伝えるのです。

当時、日本は士農工商という身分制度が絶対視されていました。

銀行家=商人が軍人=武士に対等な口の利き方をすれば、日本だと大きな騒動にすらなりかねません。

このように、欧州の自由な風潮を目の当たりにした渋沢栄一は、それまで絶対視していた身分制度が歪だと気づきます。

帰国後は栄職を断わり、一般人として得た知識を実践する

渋沢栄一たちがパリ留学をして1年が過ぎた頃、日本では徳川幕府が崩壊してしまいます。

パリから戻った渋沢栄一は徳川慶喜が将軍から1大名へと降格したのを知ると、留学から戻った挨拶と徳川慶喜の元を離れる報告をしました。

フランスで身分制度からの解放を知った渋沢栄一は、武士では無く商人の立場から国を動かそうと考えたのです。

一般人となった渋沢栄一は、静岡で実験を始めます。

フランスで学んだ知識を生かした事業は成功していき、渋沢栄一の名前は知られるようになります。

時代はまだ明治の初めで、新政府は手探り状態で新しい日本を作ろうとしていた頃です。

後に早稲田大学を創設する大隈重信は渋沢栄一を有能な人物だと見出し、根気よく説得をします。

徳川慶喜の元を去った渋沢栄一でしたが、彼は幕臣であった頃の恩義や誇りを忘れておらず、今の新政府に協力する気はありませんでした。

しかし、大隈重信の説得を受ける形で大蔵省に入省します。

大蔵省で渋沢栄一は幾つかの改革や条例制定に関わります。

特に国立銀行条例制定に関わったのが、後の銀行設立に関わってきます。

実業家へと転身

渋沢栄一が官僚として活動した期間は僅か3年半と短いです。

省内の予算編成を巡り、大久保利通や大隈重信と対立したのをきっかけに大蔵省を退官すると、日本で初めて誕生した第一国立銀行の頭取に就任します。

この時、渋沢栄一は33歳と若く、フランスで資本主義を学び、学んだ知識を静岡や国で実践した経験を持つ実業家でした。

92歳で亡くなるまでの約60年間、多くの地方銀行設立に貢献し、現在も残っている企業の設立に関わってきました。

これらの功績を指して、日本資本主義の父と称される人物となっています。

投資家としての渋沢栄一

冒頭から触れているように、渋沢栄一は日本資本主義の父と呼ばれています。

ところが、意外な事に渋沢栄一自身が「資本主義」という言葉を使ったとされる書物は少ないです。

投資家・実業家としての渋沢栄一は、「合本主義」を掲げていました。

合本とは「がっぽん」と呼び、辞書では2冊以上の本を合わせて1冊にするという意味です。

渋沢栄一の掲げた合本主義とは、単独・少数の大株主が企業の利益を独占するのではなく、少数の株主が大勢集まって企業の利益を分配する方が、結果的に国が富むという考え方です。

同時代に活躍した実業家、岩崎弥太郎が提唱した、才能ある経営者が資本を掌握して企業を大きくするべきだという、真っ当な資本主義とは対立した考え方となります。

今日、多くの投資家や実業家は岩崎弥太郎の説いた資本主義を実践しています。

一方で、渋沢栄一が説いた合本主義を実践する投資方法もあります。

それは投資信託です。投資信託は、少額の資本でも参加できる投資方法で、大勢の投資家から集まった資本で運用され、利益が資本家たちに還元されます。

まさに、渋沢栄一が提唱した合本主義を実践している投資運用方法となります。

まとめ

以上が、渋沢栄一の解説になります。

渋沢栄一は農民から武士になった事で、身分制度が生む害悪に悩まされてきました。

そんな渋沢栄一がパリで見出した合本主義は、今日まで続く投信運用方法と合致しています。

まさに、日本を代表する人物と言えます。

今回の記事を読んで、投資に関する興味が深まれば幸いです。


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記事は、一般的な情報提供のみを目的としたものであり、投資家に対する投資アドバイスではありません。

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